コストン太郎のスケートボード情報館

スケートボードを愛する男です。日本のスケボーに関する全てを語ります。

なぜ人はスケートボードと真剣に向き合ってしまうのか

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昔からぼんやりと不思議に思っていたことがあります。

 

 若い頃からスケボー一筋、バイトはデッキ代に消え、彼女はほったらかし、怪我をしては親に迷惑をかけ、「若い時間」という最も大切なものを一銭の特にもならないスケボーに全て注ぎ込みました。

 

 皆さんもそうではありませんでしたか?特にこのスケートボード情報館たるものを見ていただいている方々は。

 

 私がぼんやりと不思議に思っていたことは、このように人は「遊びであるスケボーになぜ真剣に向き合ってしまうのか」ということです。

 

注目すべきは「遊びである」こと。

 

 今でこそスポーツか遊びかで意見が分かれていますが、昔なんかはスポーツと呼ぶ人はあまりいなかったですからね。

 

スケートボードの魅力

 その答えはまず、スケボーにしかない魅力があるということが言えます。決してスポーツにはない魅力。

 

 メイクの達成感、家の前で出来る手軽さ、ルールがない、服装が自由、カッコ良い。このようにスケボーには多くの魅力がありますが、中でも私がいつも一発目に上げるスケートボードの魅力は「自らに打ち勝った時の喜び」です。

 

皆さんも経験ありますよね。

  • 1時間以上悩んでようやくデッキを弾いてメイクした10段のハンドレール
  • ステアを100回飛んでメイクしたフリップ
  • 3日間かけてメイクしたフリップバックテール

これら全てに、自らに打ち勝ったものにしかわからない、幸せ、興奮、達成感、というありきたりな言葉では言い表すことができないほどの安心感にも似た「何か」があります。

 

 その「何か」は少し怖いくらいの依存性があることは間違いなく、スケーターは日々その「何か」の為にデッキに乗っています。

 

 まぁ仲間ワイワイする楽しみとか、スケボーの後のビールをおいしく飲むためとか、そのような堅苦しい?感じのものだけではないのですが。

 

 向き合うことで得られるもの、失うもの

 スケートボードに真剣に向き合うことは、得られるものが圧倒的に多いです。しかし当然少々失うものもあります。

 

 世の中に打ち出の小槌は存在せず、ひたすらに楽しく、何も失わないということはありません。

 

「失うもの」に関しては以前記事にもしています。

 

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 失うものがあっても、得られるものが多すぎて、スケーターはスケボーに真剣になってしまうのですね。

 

まとめ

 「スケボーなんかやめなさい」「スケボーなんか将来何の役に立つの」「勉強しろ」

 

親や教師に言われたことがある人も多いのではないでしょうか。

 

 しかしスケボーを辞めないままアラフォーになった私が断言します。スケートボードと真剣に向き合った時間は決して無駄にはなりません。

 

 スケボーでつながった一生の友達、何年経っても鮮明に覚えているあの日のメイク、試写会、全てが私の宝です。

 

 継続して努力し、楽しみ、「何か」を繰り返す先に、きっと私のようなオヤジスケーターライフが待っていますよ。そしてそのオヤジスケーターライフってとっても幸せです。

 

 

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