スケートボードの世界というのはスポーツと違い、束縛性が緩いという側面があります。
国内では金銭の契約もまだまだ少ないですし、滑りにルールやユニフォームもなく、審判もいません。そのような特性から急にシーンから姿を消す天才スケーターもいます。
特徴としてはまったく滑らなくなる、ということではなく、突然パークに現れたりすることもあるそうです。
林正翔
言わずと知れた湘南の天才です。
2003年にchatty chatty 2が発売された時は日本で一番上手かったスケーターだと思います。様々なスタイルがある中で「No1」を決めることが難しいスケボーですが、日本一だと断言して差し支えありません。
それほど当時彼の滑りは圧倒的で、クリーンで、完璧であり、例外中の例外。どう見てもストリートでのスケートボードが日本一上手かった男です。
そんな彼もchatty chatty 3ではパートを持っていたものの、少しづつシーンから消えていくことになります。
シーンから離れた理由は定かではありませんが、あれほどの才能は未だかつて見たことはないのでとてももったいないですね。才能だけであれば堀米さんや池田さんをも凌ぐと思いますから。
当時のスポンサーはes、GIRL、FOUR STARなどエリック・コストンと同じであったことから、ある地域では和製コストンとも言われていました。
西平守安
脱力系スタイルで一世を風靡した天才ストリートスケーターです。おそらく今の若手で知っている人はほとんどいないかもしれません。以前から映像一本で魅せるタイプであまりメディアには出ないスケーターでした。
当時国内ブランドであるMETROPIAの看板ライダーであり、その頃ZEROが全盛期でビッグトリックばかりに注目が集まっていた頃、テクニカルな滑りで注目を集めた数少ない国内スケーターです。
最後に出演したビデオは2002年に発売されたMETROPIAの作品「DEATH/RE-BIRTH」です。これを機に一切の表舞台から姿を消しました。
I-pathや5 boroの代理店であったBPトレーディングのツアーなんかにも当時は参加していたと記憶していますが、彼もまた、どのような理由で業界から姿を消したのかはわかりません。
噂ですが釣りがとっても上手だということを聞いたことがあります。
岩本輪太郎
2005年から2006年くらいに頭角を現し、ビッグトリックの中にもテクニカルな要素を組み入れ、各地のステアのトリックレコードを更新しまくっていた彼もまた天才でした。
ステア系のビッグトリックを得意とし、オークリーやネスタ、ninjaベアリングなど多くのスポンサーも獲得して一番脂ののっている時期にシーンから姿を消しました。
彼は年齢的にもスキル的にも本当に一番輝いている時期にシーンからいなくなりましたね。巨大ステアでの回しトリックのダイナミックさとメイク率は本当に目を見張るものがありましたが。
少し前にパークで見かけたこともありますが、その滑りは健在でしたね。やはり才能というものはなくならないようです。
共通すること
今の若いスケーターはかろうじて知っていても林正翔さんまでだと思いますが、彼らに共通して言えるのは「年齢や怪我などが理由ではなく、自らの意思でシーンから姿を消した」ということが言えます。
年齢とともに体力や気力もなくなり、結婚し、仕事が忙しくなってメディアに出れなくなるというのは誰しもあることですが、そうではないわけです。
若手にしてみれば喉から手が出るほど欲しい圧倒的な才能とスポンサーを持っていながら自らそれを捨て去る天才達。
私のような凡人スケーターには分からない何かがあるのでしょう。
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