こんにちわ。コストン太郎(@kostontaro)です。
時代の流れとともにスケボーも変わってきました。1980年代はテクニカルなトリックが好まれ、90年代はZEROやFLIPに見るハンマートリックの時代に入り、2000年代になるとオリジナリティやスタイリッシュといった完璧さが一層求められるようになりました。
こういった時代の流れもあり、ビデオの見られ方にも変化が出てきました。
昔はビデオテープが擦り切れる程一つのパートが見られ続けた
昔は個々のパートと言うものは繰り返し何回も見られるものでした。今と違いビデオテープだったので何回も巻き戻して見ていると少しずつ映像が汚くなっていったものです。
何故繰り返し見られたかというと、当時はwebもなく、お金を出してビデオを買うことでしかプロの滑りが見れなかったので、希少価値が高かったからです。
今は一つのパートが繰り返しみられるということはほぼないです。それは当然スケボーの作品レベルが下がったということではなく、webやSNSの台頭で、次から次へと新しいものが流れてくる中、1人のフルパートの「数分間」を見ることさえスケーターにとって「重たくなった」ということです。
これが今のチームビデオの時間の短さにつながっています。昔のビデオって2時間くらいあるやつもあった気がしますし。
スマホの普及で世界中のニュートリックが部屋にいながら無料でいくらでも見られるようになり、スケーターの時間間隔は確実に早くなっていて、どんなにすごいトリックをやっていても、ほんの少しダラッとした瞬間を見せてしまうとその時点でブラウザが閉じられてしまいます。
あなたが時間と労力をかけて完成させたパートは、「余計なトリックひとつ入れただけで見られなくなってしまう」という非常に難しい時代になったと思います。
今後も見られるパートとは
圧倒的ブランド力(知名度)をもったライダーのパートであるか、スタントマントリックか、はたまたトリックの全てが世界で見たことのないテクニカルオンパレードか、です。凡人にはほぼ無理ですよね。
今のスケーターは圧倒的ブランド力を誇るポール・ロドリゲスやシェーン・オニールのパートでさえ、4、5回見たらもう満足するでしょう。 ブランド力とスタントマントリックの掛け合わせであるナイジャ・ヒューストンやクリス・ジョスリンのパートでさえ10回見るスケーターは少ないのではないでしょうか。
次に何をしでかすわけ!?といった期待感がないともはやフルパートは最後まで見てもらうことさえ難しい時代です。
国内のみなら可能性がある
スケボーはそれぞれスタイルの好みがありますから全員に当てはまるものではないことを前提に話します。
日本国内だけで見てもらう分には、まだ可能性があります。「同じ日本人のパート」という意味で身近に感じてもらえるので、つけ入るスキがあるからです。
あなたがブランド力(知名度)を持っていないスケーターの場合、そのわずかなスキマを埋めるためには、一番手っ取り早いのは分かりやすく危険なハンマートリックをすることです。ハンマートリックのみでパートを作るのはかなりハードルが高いですが。しかもただデカいスポットをやるだけでなくカッコ良さやトリックバリエーションも必要ですからね。
しかし、テクニカルで何度も見られるというのはさらに難易度が上がります。あのセワ・クロエコトブやマーク・スチュウのパートでさえ、大体の人が1回見て終わりですからね。めっちゃくちゃカッコ良くて完璧で、オリジナリティあふれるパートであるにも関わらず、です。
テクニカルの地球代表であるPj Laddのnew balanceパートは再生回数50万回に対し、スタントマントリックの代名詞ナイジャ・ヒューストンのnikeパートの再生回数は390万回です。
このことからも現代人はスケートに対するワクワク感の耐性が異常に上がっていると推測され、次に何が来るの!?と期待感を煽ることが重要だということです。
まとめ
記事を書いていくうちに「今後も見られるパートとは」という題名にしたのはやめたほうが良かったかなと考えてしまいました。
結果的に「日本国内のみに限った発信のフルパートで、危ないことをする」という意味不明で、ほぼ不可能な答えにたどり着いてしまったからです(笑)
これはあくまで知名度がないスケーターに限った話だということを最後にもう一度申し添えておきます。知名度があれば、見てくれるファンがついていることやスポンサーの存在等、条件がまったく変わってきますので。
もはや「繰り返し見てもらえるパート」を目指すどころか「最後まで見てもらえるパート」を目指す時代なのかもしれないですね。そんな少し悲しい時代になっている気がします。
Pj Laddが世に出てきた時のように、パートのみで一世を風靡するようなスケーターは今後現れるのでしょうか。
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