皆さまご存じTAMPA AMというプロスケーターへの登竜門ともいえるスケートコンテストが今年も開催されました。
そこでなんと日本人である池田大亮さんが優勝されました。世界中から集まったプロを目指す若手の猛者達を抑え優勝するなんて、とんでもない国内スケーターが現れましたね。
スケーターの輝きはほんの一瞬
こんなおめでたいニュースの時に記事にすることではないのかもしれませんが、今回の日本人TAMPA AM優勝を知った時、ちょっと考えてしまったことがあります。
それはスケーターほど消費的で瞬間的な需要を追い続ける人種は他にはないんじゃないかということです。
例えばこれがアイススケートだったら?サッカーだったら、野球だったら、絵でも良いかもしれません。アニメでも、建築でも、いかなるジャンルでも大体ニュースになったり、各メディアに引っ張りだこになったりすると思います。
スポーツ選手では海外で成績を収めた選手は空港に着くと記者とファンが出迎える、なんていうこともありますよね。日本のスケボーではあり得ない光景ですが。
それはスケボーが日本では認知されているとは言いがたく、まだまだ不良の遊びだという感覚も残っているせいかもしれません。
そう考えるとスケボーはあまりにも消費的すぎます。
今回のTAMPA優勝も、スケボーの業界ではとてつもない快挙です。しかし、ただでさえスマホとwebの浸透でありとあらゆる時間間隔が消費的になってしまったスケート業界では、今回の歴史的な優勝さえも悲しくなるくらいあまりに消費的だなぁと感じてしまいました。
まだスマホがない時代に加藤大さんというスケーターがTAMPAで3位に入賞したことがありました。当時の優勝は元ELEMENTのコスト・キャノン、2位はPRIMITIVEのバスチャン・サラバンジーというとんでもないメンツです。
当時そのニュースはしばらくの間スケート業界を騒がせていましたね。しかし現代のように映像をスキマ時間に流し見する時代では今回の優勝ニュースは昔より確実に流動的で消費的です。
そもそもスケーターはどこか損得勘定の欠落した生き物です。膝や腰に一生ものの爆弾を抱えてもフリップがしたくなり、無理をした結果症状を悪化させるおバカさん達です。
一瞬の輝きの為に後先考えないのがスケーターであり、それがスケーターのカッコ良さであることに疑いの余地はありませんが、もう少しリターンがあっても良いのではないかと、僕くらいのおっさんになると思ってしまいます。
こんな「リターン」=「損得」を考えるようになってしまった僕はもはや「生粋のスケーターです」と言うことが難しくなってきたのかもしれませんね。デッキに乗っている内は若いつもりでいましたが、そんな風に考えると少し感慨深いものがあります。
輝き方の違い
野球やサッカーのようなスポーツは基本的に過去の栄光というものは限度はあれど輝き続けることが多いですよね。
トム・ペニーやダニー・ウェイのような地球規模のカリスマは別として、スケボーの輝きの一瞬さというものはスケボーがやはりスポーツではないということを再確認させてくれます。
フリップKグラインドを3日間かけて初メイクしたとしても誰も褒めてくれませんしね。なんなら縁石を破壊しているとか言われかねませんから。
この「誰にも褒められないけどやる」というスケーターの少しあまのじゃくな感覚こそが、スケボーをメジャーにしない一番の原因なのかもしれませんね。
スケボーをメジャーにしたいと思っているスケーターもめったにいないと思いますが。
まとめ
消費的であるから不幸かと言えばそうではありません。
自分の気持ちを理解してくれる仲間がいるときにトリックをメイクしたスケーターというのは、その瞬間世界で一番幸せであることは間違いありませんよね。
ポイントは「その瞬間」であるということです。あなたが例えプロであっても、次の日空港で囲まれることも、フジテレビに呼ばれてヒーローインタビューされることもありません。
そんな一瞬の消費的な遊びであるからこそ、「もっと」「もっと」という、まるで一種の麻薬のような魅力がスケボーにはあるのではないでしょうか。
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