ストリートスケーターは基本的にフルパートを出すことがゴールであり、目標であることが多いです。
健康の為、とか、楽しいから、というだけで滑っていたのにいつの間にかハマりすぎて映像を撮りたくなるのは楽しすぎるスケボーでは良くあることです。
しかし一度フルパートを出すと、次のフルパートはそれを上回るものが求められてしまいますし、自分自身もそれを求めるようになります。
スケートボードは自由ですから本来なら別に「以前のフルパートを超えるようなものを出さなくてはいけない」というルールはないはずです。
そこがまたスケーターの不思議なところです。
損得勘定という概念がないスケーター
基本的にスケーターには損得勘定というものがありません。
例えスポンサーがついていたとしてもそんなにお金がもらえるわけでもないし、大怪我したり、道路交通法違反で逮捕されたりするリスクを考えると、時間とお金をかけてフルパートを作るのは割に合わないはずです。
ではどうしてフルパートを作りたくなるのでしょう。
これは「楽しい」というよりは「意地」と「達成感」が大きいです。何度か記事していますが撮影というものは楽しいことばかりではなく、セキュリティに追われたり一撃で骨が折れたりハンドレールの恐怖と戦ったり、という苦労がたくさんあります。
お金にもならないことを苦労してでもやる人はたくさんいますが、逮捕されたり大怪我をしたりする事はそうはないはずなので、スケーターは世界一損得勘定がない人種なのかもしれませんね。
どうして前回作を超えようとするのか
損得勘定がないスケーターは自分で勝手に決めた「前回作を超える」というルールを課してしまう生き物です。
スケーターがプロとして引退するときはこの「前回作を超えることができなくなったとき」であることが多いです。 それほどまでにスケーターにとって「前回作を超える」ということは大事なことであるということですね。それはなぜでしょう?
基本的に新しいフルパートというものはみんなワクワク楽しみにして見るものです。なのに前回作よりそのスケーターのパートがショボかった場合、ガッカリしますよね。「前の方が良かったね」と。
この「前の方が良かったね」はスケーターとしては退化したと見なされたことと同義です。処女作ではモチベーション的に意地より達成感を得ることの割合が大きいですが、フルパートを重ねるごとに徐々に「退化したとみなされたくない意地」の割合が多く締め、最終的に「意地」のみになるのではないでしょうか。
達成感のみでやっているのであれば「自分らしくあればいい」のであって前回を超える必要はないですからね。スタイルだと言ってしまえば良いですし。
まとめ
ルールがないスケートボードに独自のルールを課すのはスケーターにとって得意分野です。しかもそのルールってわざわざきびしいものにしますからね。この「前回作を超える」なんてきびしさの最たるものです。
死に物狂いで何年も時間をかけてお金も使って体ボロボロにしてようやくできた3分のフルパートなのに、「よし、次はそれを超えよう」の繰り返しって、サイヤ人じゃないんですからいつかは限界に達します。
例外的にアンドリュー・レイノルズなんかは限界に永遠に達しないと思われるスケーターですが。
スケボーは不思議で実に奥が深い遊びです。
関連記事↓