今日は初めてプロに会った時の話をしたいと思います。ここが自分のスケート人生の始まりと言っても過言ではありません。なんといっても当時はSNSやスマホなんてない時代ですから、当時プロが見れたというのは人生の起点になるほどの出来事だということです。
初めて訪れた地
もう20年以上前の話です。
当時地元のみんなとスケボーを始めたてで、なんとなくオーリーやらフリップやらを練習していたくらいだったと思います。もちろんプロなんて生で見たことはなく、雑誌で見るくらいでした。
ある日車を持っていたやつがいて、スケートスポットとして有名だった都内のある公園に何故か滑りにいこうという話になり、車で行きました。何人かローカルの人達がいて、一緒に滑っていた時に、遠くの方で車から降りてこちらに滑りながら近づいてくる人がいます。
それが私が今でも最も尊敬するスケーター「米坂淳之介さん」です。これが生まれて初めて見たプロスケーターでした。
誰かが「え?あれ米坂さんじゃない・・・?」といった時には距離は結構遠くなのにオーラがすごくて圧倒されるくらいでしたね。ミーハーでKY(当時はなかった言葉ですが)だった私は大興奮して「米坂さんですよね!?ファンです!!!!」とか言ってグイグイ握手してもらいました(笑)
オーリーを教えてもらう奇跡
KYな私でもさすがに米坂さんの練習中には話しかけにいきませんでしたが、どうしても自分のオーリーに一言でもアドバイスが欲しかった僕は米坂さんが休憩する時を狙ってすかさず、「ちょっとオーリー見てもらえませんか!?」と声をかけたらなんと敬語で「いいですよ」と言ってもらえました。
ハッキリ覚えています。敬語でした。ファンです!って群がってくる田舎もんで下手くそな僕にも敬語で丁寧にオーリーを指導してくれたんです。その時間わずか1分だったか5分だったかもしれませんが、とても感動し、今でも忘れません。
少なくともあの時米坂さんに感動をもらわなければ当時ただの暇つぶしと思っていたスケボーを、子供が二人できた今でもやっているということはなかったと思います。
最も尊敬するスケーター
その日から私がもっとも尊敬するスケーターは米坂さんになりました。しかしその後、当時新宿にあったEDITパークやアクティブコレクションなどでもお見掛けしましたが、一度も会話したことはありません。
いきなり、「あの時オーリー教えてもらったものです!」とか言っても頭おかしいやつだと思われるでしょうから。遠くでずっとファンとして応援してました。
私が何年も「CITY STARS」というブランドのデッキに乗るきっかけとなったのも米坂さんのファンだったからです。CITY STARSは昔はポールロドリゲスのデビュー作品としても注目されましたけど、今は残念ながら存在しないデッキブランドです。
復活してくれないかなぁ~