コストン太郎のスケートボード情報館

スケートボードを愛する男です。日本のスケボーに関する全てを語ります。

年々幸福度が上がるスケートボード

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2019年最後の日になってしまいました。

 

 本年もこんな完全自己満足スケボーブログに足を運んでくださったスケーターの皆さまには大変お世話になり、感謝しかありません。

 

 元々「誰が読むのこれ?」というものを書いたらおもしろいかも、という意味不明な動機で始めた当情報館ですが、いつしか月のPVは10,000を超えていき、私のスケーターとしての実力や人間力以上の規模になってきたと少々困惑することもあります。

 

さて、2019年最後の記事は、年々幸福度が上がるスケートボードについて、です。

 

年齢によるあきらめの先に

 我々を虜にするスケボーという真剣な遊びは、ある時を境にスキルがまったく伸びなくなり、徐々に後退していくこととなります。

 

 しかし、何度も申し上げているとおり、スケボーは上手けりゃいい、すごけりゃいいというものではありません。

 

 そりゃヘタクソよりは上手い方が良いのですが、また違う楽しみ方も生まれてくるのです。私は以前はそれを「逃げ」だと思い、スケボーに向き合ってきましたが、どうがんばってもスキル低下は避けられず、あきらめた形となります。

 

 私なりにいうと、スキル向上をあきらめることを「逃げ」だと自ら認めた時、それは逃げではなくなりました。うん、意味がわかりませんね(笑)

 

 つまり「スキルなんて必要ない」「スケボーはスタイルが全てだ」「あいつは上手いだけでスタイルがダサい」なんていうまるで上手いことが悪いかのように言う嫉妬の声と言うものは、自らの「逃げ」を自己正当化し、それらを認めていない人の声なのです。

 

 自らが逃げたことや、若い子には逆立ちしても勝てない、と認めてしまえば良いだけなのですが、それを認めることができないのが私を含めた昭和のおっさんスケーターというものだったりするのです。老害ですね。

 

  ちなみに若い子の上手さを認められない人というのは、「自らが1番を目指したことがない人」に多いです。

 

 私の想像ですが、それはその上手さにたどり着くまでの苦労がわからないからだと思います。スケボーに対して本当に努力した人ほど、若い人の滑りを見ただけで血のにじむ努力が伝わるのものです、「ここまでくるのはとてもきつかっただろうな、とても苦労しただろうな」と。

 

 これでは逃げを認めている私がまるでめちゃくちゃ努力してきた人のように聞こえますでしょうか(笑)

 

 私の努力なんて今の若い人に比べればまったくなんてことないのですが、私は他人を認められる素敵な仲間達にめぐまれたことから、運よく老害にはなっていないと自負しています。

 

幸福度の増加

スキル向上をあきらめてから、私のスケボーは年々幸福度が上がっています。

 

 仲間達と撮影なんかをしていたときはもちろん楽しみながらやっていたのですが、やはりお互いを意識し、競争心もありましたからね。

 

スケーター得意の「自由なはずのスケボーに勝手にマイルールを課す」というやつで、お互いが勝手に意識して、勝手に競争していただけなのですが。

 

 それから解放され、もうだいぶ月日がながれましたが、今ではデッキの上に乗るだけで楽しくて楽しくて仕方がありません。数週間に1度のデッキの上が「こんなにも幸せでよいのか」というくらい、幸せです。

 

 つかまった後の逃亡犯ってこんな気持ちなんでしょうかね、いや、これは全然ちがうか(笑)

 

まとめ

 スケボーはどこまでいっても乗るだけで幸福度があがる世界最高の乗り物ですが、それもこれも気の持ちようが大切だったりします。

 

 よく引退したスポーツ選手なんかが、引退した後の方が楽しめるようになった、と言ったりしますが、それに近いのかもしれません。

 

 もちろんスケボーはルールがないのでスポーツとは違いますが、目指すものがあるとストイックになってしまうという部分はスポーツに似ているところもありまからね。

 

 本日、12月31日は地元の仲間達と滑り納めです。今日もスケボーに乗れる幸福を意識して、最高に幸せになりたいと思います。

 

2019年もありがとうございました。

 

 

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