以前から疑問に思っていたことがあります。
海外にはPJラッド、ライアンギャラント、アントワンディクソン等、地球上のスケーターであれば誰もが知っているカリスマスケーターがいますが、日本国内においてもカリスマという「上手く説明できない何か」を持つスケーターは存在します。
その「上手く説明できない何か」を持つスケーターはスケボーに対して冷静な目を持っていることが多いです。これだけだとコストン太郎は何言ってるの?という感じですよね(笑)
これも上手く説明することが難しいのですが、どこか余裕があるという感じだったり、スケボー以外の楽しみを持っていたりするパターンが多く「スケボー=人生のすべて」としていないような感じです。
国内におけるカリスマスケーター
- 池田幸太
- 松尾裕幸
- 瀬尻稜
- 三枝博貴
- 米坂淳之介
パッと思いつくスケーターを並べてみました。国内では異論を持つ人はいないカリスマ性を持つスケーターばかりではないでしょうか。こうして見ると瀬尻さんだけとてもお若いですね。特異なカリスマスケーターです。
カリスマの特徴として皆ストリートスケーターであり、コンテストに重きを置いていないという特徴があります。コンテストに重きを置くと、どうしてもスポーツの片鱗が垣間見えてしまい、そのちょっとしたスポーツマンシップ感がカリスマとは異なる姿を映し出すのでしょう。
私はここに挙げたすべてのスケーターと少々関わりを持たせてもらったことがあります。
一人で行動する、口ではなく行動で示す等、共通する事項はいくつかありますが、その中で私が最も興味深いのが、最初に説明した「スケボーに対して冷静である」ということです。
滑りに対価が発生する彼らですが、どこかスケボーを人生の全てにしておらず、自身の将来や、商売としてのスケボーを冷静に見ている気がします。
これはあくまで私の主観であり、本人の意図するものと全く違うのであれば大変申し訳ありませんが、私はそう感じています。
池田幸太さんについては以前ツイッターでユーザーからの質問に「スケボーが人生の全てと言う感じではないです」※うろ覚えですみません とおっしゃってもいましたね。
自らを売り込まない
有名になるための最初の一歩は自らが動いたのだと思いますが、彼らは例外なく自らを売り込んで有名になったのではなく、周りが持ち上げて有名になったという経緯があります。
自らの望みや展望とは関係なく有名になる(なってしまう)、いつの時代もカリスマはそのような特徴があります。有名になりたくてどんなに努力したりコネを使ったりしても有名になれないスケーターが大半の中、カリスマ達はとてもスマートにトップへの階段を駆け上がっていきますね。
カリスマが冷静なのではなく、その冷静さが彼らをカリスマにしたのかもしれません。とはいえ普通のスケーターが冷静さやスマートさを出したとしても、それはただの無名で終わってしまいます。一体何が普通の人と違うのでしょう(笑)
そして自らを売り込まないということは当然「スケボー=人生の全て」ではないということです。その証拠に皆例外なく、車、スケボー以外の仕事、フィッシング、音楽等スケボーとは別の何かを持ってらっしゃいます。
まとめ
いかなる分野にもカリスマはいるものです。
そしてすべてに共通することは自らを売り込むのではなく周りが盛り上げるということ、なおかつその時一番上手い(ゴールドメダリスト等)人間でもありません。
そのどこか情熱を感じさせないようないで立ちと、それでいて奥に秘めた誰よりも熱いプライドがカリスマの秘密ではないのかなぁと私は考えます。
カリスマとはまさしく「上手く説明できない何か」ですね。
関連記事
「デッキの上のカリスマ」と言っても過言ではないスケーターである池田幸太さんについては以前記事にさせてもらっています。↓
こちらは才能の話です↓